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徳島地方裁判所阿南支部 昭和62年(ワ)56号 判決

主文

一  原告木村丈治、同柿本宗幸、同杉寺良造の請求を棄却する。

二  原告小島伊勢太郎の請求を却下する。

三  訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

事実及び理由

第一  請求

原告らが被告の壇徒の地位にあることを確認する。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、高野山真言宗の教義を広め、儀式、行事を行う事等を目的として設立された法人である。

2  原告らは被告の壇徒であった(原告小島は訴提起後死亡)。

3  被告は原告らに対し、昭和六三年七月二三日付書面をもって原告らを壇徒の地位から除名する旨の意思表示をし、同書面は同月二五日原告らに到達した(本件除名)(乙五ないし一二)。

4  右意思表示は高野山真言宗宗規、被告の規則に規定された形式的手続を踏んだものであった(甲五、乙一、四ないし一二)。

二  争点

1  壇徒の地位は、確認の利益のある法律上の地位であり、その確認は裁判所の判断の対象になりうる事項か。

2  本件除名は有効か。

第三  判断

一  争点1について

甲五号証によれば、被告の規則上、壇徒とは、高野山真言宗の教義を信奉し、被告寺院の維持経営に協力する者をいい、被告を宗教団体として成立せしめる重要な構成員であり、被告の住職の選定、財務処理等に関し意見を具申し、教義の広宣、儀式や行事の執行等に参与する総代及び責任役員の選挙母体になるものであることが認められ、宗教法人法上、被告の財産等の処分、規則の変更、合併、解散等の場合には、公告により一定事項を知らされる立場にあり、特に解散の場合には被告に意見を申し述べる地位にある「信者その他の利害関係人」に該当するものと解され、このような地位は、単なる社会生活上の地位を超えた、宗教法人としての被告の存立そのもの、あるいはその財産関係に影響を及ぼしうる法律上の地位ということができる。

もっとも、壇徒としての地位が法により保護されるのは、右のような法定の事項という限局された側面においてのみであり、原告木村の供述によると、原告らが本訴を提起した目的の大部分は、宗教生活関係上壇徒として取り扱われることであることが窺われるが、そのような地位の存否の問題は、憲法上国が関与することを許されない国民の信教の自由の領域に属する宗教事項であり、仮に本訴において原告らの被告の壇徒たる地位が確認された場合、葬祭、供養等の宗教生活上の利益の供与を被告に求めてそれが得られなかったとしても、国が法的強制力をもってこれを実現することはできないことは明らかである(換言するならば、壇信徒たる地位は、宗教生活上の地位を前提としてこれに法律上の地位が附属せしめられたものと観念せられ、法による規律の対象になるのは、右法律上の地位のみであると解されるのであり、訴訟の結果右法律上の地位の存在が確認された場合には、当然に宗教生活上も壇信徒としての地位があり、純粋宗教活動の場面でもその者を壇信徒として取り扱うべき法的義務が寺院側にあることになると解さねばならないとすれば、前記壇信徒の法律上の地位を定めた宗教法人法の規定自体が憲法違反として無効であるか、裁判所が壇信徒の地位を確認することが憲法に違反し許されないということになろう。)。

ともあれ、壇徒の地位が法律上の地位の側面を有する限り、一旦その地位を与えられた者から、これをみだりに奪うことはできないものと解され、その剥奪には正当な理由が必要であるというべきである。

そして、右正当性は、被告がその設ける規則にその要件を定めている場合には、これに該当するか否かにより判断するのが相当であり、かつ、それが被告の教義等その宗教活動の内容に関する判断を要しない限りにおいて、裁判所の判断の対象になりうるものと解される。

ところで、甲五号証、乙一、五ないし一二号証によれば、被告の規則上、壇信徒は高野山真言宗の教義、信条に反し、異議を唱えるもののほか、被告寺院の維持経営を妨害する場合には除名しうるとされ、原告らは後者に該当するとして除名されたものであることが認められ、その当否の判断は、右規定の趣旨からみて、被告の教義等その宗教活動の内容に関する判断に踏み込むことなくこれをなし得るということができる。

二  争点2について

1  原告木村、同柿本及び同杉寺に対する除名事由の存在

乙二ないし八号証、一四号証の1、2、一五ないし一九号証、証人吉岡寿男、同大竹隆子、同小松政利、同大梅実の各証言及び被告代表者本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 原告木村

(1) 同原告は、昭和五七年二月頃、路上で、被告責任役員吉岡寿男に対し、自分の父の葬儀のことに関し、「あいつ(被告住職中村龍光を指す。)に拝んで貰っていたら、父は成仏していない。」と言い、その後も「壇家を除名されてもかまわぬ。」と再三発言した。

(2) 同原告は、昭和六二年四月一七日、壇徒の一人大竹隆子に対し、八幡神社境内で、「中村住職は昭和六〇年の県知事選のとき山本候補よりお金をたっくら(沢山の意)貰って山分けしたろくなものでない。」「親父の葬式に糞坊主(被告住職中村龍光を指す。)がおらなんだけん、安堵についた。糞坊主に拝んで貰ろたら、成仏しておらん。」「あの糞坊主は徳島で女をこしらえて、子供まである。」と言った。

(二) 原告柿本

(1) 同原告は、昭和五八年二月、畑の傍らで、大梅実に対し、「中村住職は、町長時代徳島市に女をつくり、子供が二人いて大学に行っておる。こんな糞坊主は寺から放り出さんといかん。」と言い、その後も同様の発言を繰り返した。

(2) 同原告は、昭和六二年四月一〇日、小松政利方で同人に対し、「中村住職が徳島で女をつくり、子供まであるというが、そのような生臭坊主は住職を辞めさす。」と言った。

(三) 原告杉寺

(1) 同原告は、昭和六一年一〇月七日、小松政利方で同人に対し、「来期町長選に出馬するような坊主は、我々壇家として、住職に必要ないので、皆と相談して辞めさす。」と言った。

(2) 同原告は、昭和六一年一一月一四日、被告の大法要が行われた際、境内で、前記吉岡に対し、「町長選に立候補するような住職は寺から追い出す。」と言った。

2  原告木村、同柿本及び同杉寺除名の正当性

原告木村、同柿本、同杉寺の前記言動は、被告壇信徒の崇敬の的たる地位にあり、その宗教活動の先達であり精神的支柱であるのみならず、被告の寺院としてのすべての活動の中心者である被告住職を誹謗、中傷し、その権威、尊厳を著しく損なう、およそ壇信徒にあるまじき行為であり、明らかに被告寺院の維持経営を妨害するものとして、放置することができないものであるということができるから、同原告らに対する離壇処分としての本件除名は正当というべきである。

三  原告小島は、現在死亡しており、壇徒たる地位は、その性質上一身専属的なもので、相続になじまないと解されるから、同原告の請求は、不適法却下を免れない。

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